アングルの限定が、画面の時間と空間とを嘘のように豊かに押し拡げているという確かな演出によって、三宅唱は、世界の偉大な映画作家たちさながらに、ドキュメンタリーをまぎれもないフィクションとして撮りあげている。嘘だと思うなら、終わり近くに挿入されている二十一世紀の日本におけるもっとも美しい無言のクローズアップを見てみるがよい。
                 蓮實重彦(映画評論家)
基本、やってることは皆同じなんだなー、やっぱり、というのが第一の感想。僕が今やってることともそんなに違わないし、20年前にデブラージと僕でPMXのアパートを訪ねて「人間発電所」のトラックを組んだときとも同じ。今この瞬間にもこんな風にして世界中でトラックは数限りなく産まれ続けている。誰にも真似できない独自の技を持ってる奴なんかいない。スタートラインは同じってことをこの映画は教えてくれる。
                 ECD(ラッパー)
東京郊外の小さな部屋、つまり彼らの“コクピット”をほとんど離れることがない『THE COCKPIT』。この作品はOMSBの絶え間ない指の動き、そして“踊るようにくねる”首にフォーカスを当てながら、わたしたちを精神の旅へといざなう。これはシットコム(=シチュエーション・コメディ)でもあり、また同時にインスタレーション作品でもあるのだ。ラスト、それまで閉じ込められていた部屋のなかから外へと出るとき、川沿いに進む移動撮影とともに、音楽はついにその羽根を広げ、大空へとはばたく。
                 シャルロット・ガルソン(映画批評)
ひとつの曲が具体的なかたちを取るまでを見せる前半部分が、とくにすばらしい。部屋という「箱」、そしてスタンダードサイズという「箱」。あらゆるエネルギーが「箱」へと一点集中し、そのなかで彼らは曲をつくり、作品を生み出す。これはまさしく創造行為の見事なメタファーだ。と同時にその「箱」から透けて見えるのは、仲間たちの最高の友情だ。
                 ジャン=セバスチャン・ショーヴァン(「カイエ・デュ・シネマ」編集委員/映画批評/映画監督)
ある楽曲をつくるためのインスピレーションはどこからくるのか?
『THE COCKPIT』は理論やら論証など遠くに追いやり、若いミュージシャンたちによるヒップホップの楽曲の創作を「真正面から」わたしたちに見せる。カメラの正面に座るOMSBは、まさに宇宙船のコントロールパネルのようにして、サンプラーをたたき、数々のサンプルを断片化し、並べ替え、反復させていく。芸術の創作過程を完全に脱神話化しながら、この作品はそれを、笑いや焦り、またことばとともに構築される具体的な事物として提示する。そう、つまり集団によって生み出されるひとつの出来事として。必要なのはエナジードリンクと、ビートが揺らすからだの動きだ。
『THE COCKPIT』において三宅唱が示すのは、大胆で見事にコントロールされた映画形式だ。シークエンスは楽曲づくりのリズムにもとづいて構成され、観客は曲の創作に立ち会う。曲の誕生が、まさにエネルギーの解放として経験される。ラストの素晴らしいシークエンスで、わたしたちは“コクピット”を離れて「リアルな世界」を通過していく。そこで大音量で聴こえる音楽が、わたしたちの現実の知覚を変えてみせるのだ。
                 カリーヌ・ベルナスコーニ(映画批評/CINÉMA DU RÉELプログラマー)
5.30 SAT START 監督:三宅唱(『Playback』『やくたたず』)渋谷ユーロスペースにて公開決定!5/30(土)〜6/19(金)連日21:10〜 国際ドキュメンタリー映画際「CINEMA DU REEL」新人コンペティション正式出品決定!